日時:2019年6月24日(月)~26日(水)
場所:テキサス州オースティン
How A Fraudster's First Stolen Dollar Turned Into Much More
「私はこの世のあらゆるものに心を奪われていました」と有罪判決を受けた不正実行者[※1]のトム・ヒューズ (Tom Hughes) は、第 30 回 ACFE グローバル・カンファレンスの閉会のセッションで発言した。「私は自分の愛情に決して報いてくれることのない、たくさんのものを必要としていました。家電製品、新しいカメラ、新しいギター、妻とともにバミューダで過ごす週末。何であれ、欲しいものはたくさんありました」
ACFE 教育部門担当ヴァイス・プレジデントである、CFE で法務博士のジョン・ギル (John Gill, J.D., CFE, ACFE Vice President - Education) とのインタビューセッションで、トム・ヒューズは彼の犯罪の裏側にあった動機と、なぜ最初に銀行から金銭を盗み始めたのかを詳しく語った。
彼はまだ若い頃、17 歳のときに銀行で働き始め、1 週間足らずで文字どおり金が入っている引き出しに手を入れた (公金を着服した)、とギルに語った。新人としての研修の場で、彼の上司は、一日の終わりに現金が不足していた場合に調整をするための一連の手続きについて説明した。5 ドルや 20 ドルの金額なら誤りとして償却できるが、200 ドル不足した場合は、指揮系統の上層に報告しなければならず深刻な結果になる、と上司は言った。
「なるほど、私は一週間おきに 50 ドル盗むことができて、そして単にもっと注意しなさい、と言っているわけですね」とヒューズはカンファレンスの参加者に語った。その後の 1 年半の間に、彼は、ここで 20 ドル、あちらで 50 ドルといった具合に着服したが、疑われたことは一度もなかった。 「私が犯した最も大きな罪は、ある日、それまでで最も多額の金を、現金輸送車で運ばれてきた現金袋を盗んだことです」
運転手が、Kmart (米国の百貨店型小売店) になる前の会社から (預かった) 現金袋を運んできた、とヒューズはギルに説明した。運転手が到着したとき、他の従業員は別の紛失した現金を探すのに忙しく、一人の従業員がその袋を運んで慌ただしくキャビネットの下に放り込んだ。ヒューズは、後でそれを偶然見つけてこう言った。「おや、現金袋じゃないか」。そして袋から 20 ドル札の札束を一つ盗んで自宅に持ち帰った。
その週末が終わる前に、彼はその金の大半を使ってしまった。しかし、もし誰かがその袋を見つけたら、彼らがその金の所有者である会社が、預金額を間違えていると考えることはないだろうと分かっていた。「次の月曜の朝、私の素晴らしい計画は、残りの現金すべてを盗まなければならないということでした」とヒューズは語った。「その袋は完全に行方不明にならなければなりませんでした。私は自分が盗んだお金を元に戻すことはできなかったからです」
ヒューズはすぐに疑いをかけられたわけではなかった。監査人が銀行に来て、全ての行員にインタビューを行った。最初の監査人は、彼に自白させる寸前まで行ったが、もう一人の監査人が、そうせずにすむような話をした、とヒューズは言った。
最初の監査人は、彼の向かい側に着席して言った。「君が金を盗んだことは分かっている」。彼は若年犯罪者の早期社会復帰について詳しく説明し、ヒューズが金を返せば、犯罪歴が付くことを回避できる、と言った。「私はもう少しで『両親に電話しなければ』と言うところでした」
二人目の監査人が入ってきて、ヒューズが銀行の監視カメラのフィルムを先週の金曜日に変えていなかったことを知っている、と言った。その監査人は、ヒューズは金を盗み、それを上着に隠して、休憩室に持ち込んでそこに隠し、その金を取り出すためにその日の終わりに戻ってきたことはわかっている、と言った。「手口を見当違いしているばかりか、日付も間違えていました」とヒューズは語った。
二番目の監査人があまりにも見当違いをしていたので、彼らはヒューズが盗んだことを本当は知らないのだと彼は気付いた。彼は自白しないことに決めた。
ヒューズは、彼の犯罪を隠したまま銀行を退職し、別の場所の商業貸金業者で働いた。そこでは自分のしたことが全て発見されることが分かったので 3 年間真面目に働いた。
ヒューズはその後、税金の確定申告書類作成業務をする小さな会社に就職して複数のクライアントを持ち、小規模の 2 つの会社では、とりわけ、会計、帳簿、記録の全般を担当した。6 か月の担当の間に、彼はこの 2 つの会社が十分な監督を行っていないことに気付いた。彼らは銀行計算書、報告書、QuickBook (訳註:中小企業向けの会計ソフト) を確認しておらず、ヒューズは、彼らに知られることなく盗みをはたらけることを知った。
一社については、毎月多額の連邦税が預け入れされていた。「5,000 ドルの小切手を私が口座を持っている銀行に発行することはとても魅力的でした」と<ヒューズは述べた。「それで最初に私は、〔クライアントに〕支払わなければならない金額を 500 ドルとか 600 ドル増やして告げました。自分自身に対しては、たった 500 ドル 600 ドル着服して、残りは銀行に引き渡すつもりだ、と言い訳をしていました。そのようなことにはならなかったのですが。次からは、私は単純にそのお金を着服しました」
「政府はある意味後手に回りますが、彼らが非常に得意とするのは、あなたが支払うべき債務を負っている場合にそれを解明することです」とギルは述べた。「ある時点で彼らがあなたに何度も電話してくると分かっていたはずですよね」
実際には、ヒューズが捕えられたのは銀行が誤りを犯したからだ。ある月に銀行の預金に余裕があったので、彼の上司は彼にクレジット ラインの残高 (訳注:債務の意) を完済するように依頼した。彼は 4,500 ドルの小切手を 2 通発行し、一通は自分自身の銀行口座に預金した。1 か月後、その銀行から店舗に電話があり、ヒューズがその場に居合わせなかったため、なぜ完済しないのか上司に尋ねた。彼の上司はヒューズが小切手を発行するのを見ていたので完済したはずだと考え、(7 か月の間に初めて) 銀行取引明細を開いて 4,500 ドルの小切手を取り出した。彼がその番号を電話口で読み上げると、銀行の職員は、それは誤った小切手だと答えた。
彼の上司は地元の警察に通報し、銀行はヒューズに電話した。彼は署名権者ではないにもかかわらず 7 か月間小切手に署名していた。この時点で連邦捜査局 (FBI) が関与することになった。
ヒューズは最終的に罪を認めたが、懲役は免れた。彼が言い渡されたのは 6 年の自宅監禁 (訳注:刑務所ではなく自宅に監禁されること) と 5 年間の保護観察付き執行猶予であった。執行猶予の条件は、彼がクライアントのために財務業務を行うことを禁ずるというものだった。彼が不正を働いたと警告された後に彼を解雇したクライアントは、71 社のうちわずか 2 社だった。
ヒューズは執行猶予の間に別のクライアントの下で仕事を行い、執行猶予条件違反により収監された。そこにいる間、彼はまた別のクライアントに手紙を書き、自分のしたことを告白したが、刑務所内での自分の立場を変える可能性があるので何も言わないように頼んでいた。彼らはヒューズの出所まで待ってから彼のことを通報したので、刑期はさらに 6 か月延長された。
「純粋な金銭的危機のために最初に盗んだ金・・・、最初に盗んだ金のために金の工面に悩むことになります」とヒューズは述べた。「翌日出勤したら、そこには、警察が、おそらくテレビ局の取材班と一緒に、いるのではないかと想像してしまいます。悪いことをしたからです。けれども、出勤しても警察はいない。(捕まる前に)「こんなことはもうやめよう」と言います。しかし、盗みはあなたを窃盗犯へと変えて行くのです。」