執筆者:Donn LeVie Jr.,CFE
非倫理的な行動に関しては、人は正当化するのが得意のようで(不正のトライアングルの1要素)、自らの行動を正当化しようします。「悪魔に操られてしまった」のであれ、「みんながやっている」からであれ、なぜやってはいけないことをしたり、自分の本性に反する行動をとったりするのか、そこには必ず何らかの利己主義に基づく理由、原因が存在するのです。
成長するにつれて、私たちは誰しも、やってはいけないことや言ってはいけないことの責任について、何とかごまかそうとするものです(子ども時代、私も何度か、小さな弟を独りでバスに乗せてしまったことがありますが、両親は私の行動を実によく理解していました)。 つまり、私は家族の中で自分の立場を確保し、両親の愛情を確保するために、事実を捻じ曲げたり自分の行為を正当化したりしたのです。悲しいかな、(弟を追い出すという)自分の行動と、その正当化のために作った架空の話で、両親からはきつく叱られましたが。
私のような子どもが、ごまかすことや自分を正当化することの意味を十分に理解できていないことを、親たちは分かっていました。正当化すれば、私たちは真実から遠く離れた場所に逃避できます。大人になると、それぞれの職場で経験を積み重ねてコンプライアンスや倫理を学びますが、それと同時に、正当化のレパートリーも増えていくものです。
起業家精神は、立ち上げて間もない企業の「伝道者」、したたかなやり手(wheeler- dealer)であることを創業者に求めます。ベンチャーキャピタルを口説き、他社の社員を誘い、懐疑的な市場アナリストを味方につけるためには、彼らは常に「ゲーム」を続けなければならないのです。しかし、このようなシステムには、誰もが誘い込まれる危険な領域が隠されています。
1990年代後半、私はいくつかのハイテク・ベンチャー企業で働きましたが、そこでは、倫理に反する、あるいは違法な行為を、日常的に目の当たりにしてきました。ある企業では、創業者たちはゴルフ仲間であり、同業者団体(fraternity)のメンバーでもあり、ベンチャーキャピタルからの安定した資金調達を維持するために自分たちの行動を正当化していました。創業者たちは熱狂的なまでに饒舌な人間(yarn spinners)であり、数年後に自分たちの製品が市場に投入された後の未来像を、鮮明に描いていました。また彼らは、反論を突きつけられても、笑みと半ば嘘と正当化で退けてしまう、一種の達人でした。
しかし、すぐに現実が見えてくると、たびたび延期される計画、追加資金の要求、解雇の繰り返しで、誇張や誇大広告に取って変わられてしまうのです。
起業家精神が全て悪いわけではありません。人は、利己的バイアス(自分の意見が正しいと思い込む傾向)により、自分の利益になるように行動してしまいますが、こうした利己的バイアスは、自分自身の個人的な視点が状況判断を歪めることで生じます。起業家精神は、まさにこの利己的バイアスが影響する領域の一つなのです。
Palmar Forensics社のCEO、Joseph Palmar氏(CFE)は『FRAUDマガジン』の取材に対して、人々が積極的に先手を打たずに正当化へと傾く3つの「理由」に直面したことがある、と語っています。第一に、人には緊迫感のない状況で心地良く過ごしたいという傾向があります。第二に、人は問題の存在を認めたくないときには「見えない、気にならない」という思考で正当化を行うことです。そして第三に、人は「ダニング=クルーガー効果(Dunning-Kruger Effect)」と呼ばれる認知バイアスに陥ってしまうと、所期の自己評価が実力を上回ってしまうという状況に陥るということです(参照:“Why can we not perceive our own abilities? The Dunning–Kruger Effect, explained,” The Decision Lab, tinyurl. com/bddnbssm)。
(編注:ダニング=クルーガー効果については、「優越の錯覚」「自己の過大評価」ともいわれる)
Palmar氏のこの考察は、人が自己防衛行動をどのようにとるかについて示しています。自己防衛行動とは、自分の安全を確保し、危険な状態から逃れようとする自然な欲求です。また、自分の身体的、感情的、心理的な安全を守るために、普段ならば考えられない言動をとったり、強力な動機になったりするものです。自己防衛のために、自分の行動や判断を正当化しようとする一方、それらがもたらすかもしれない危険性を見過ごす(あるいは故意に無視する)ことで、非倫理的な正当化が引き起こされるケースがあるのです。
では、私たちの中で「正当化する人」とはどんな人物でしょうか。昔の漫画、『ポゴ』※のセリフを借りましょう。「僕らは敵に出会った、その敵は僕ら自身だった」。もし、あなたが自分の言動について、罪悪感や批判から自分を守った経験があるのなら、あなたは「正当化する人」でしょう。たとえ「最終的にはうまくいった」としても、あなたは結果主義(行動の結果がその行動の善悪を決定するという考え方)を用いているに過ぎません。倫理的に疑わしい行動を、肯定的な結果によって正当化しているのです。
(編注:『ポゴ』は、漫画家ウォルト・ケリーが1948年から1975年まで米国の新聞に連載していた日刊漫画)
もしもあなたが慈善活動家であり、いくつかのチャリティー活動を支援しているにも関わらず、マスコミがあなたの豪勢なライフスタイルを批判したとしたら、あなたは内面の感情的葛藤を抑えるために自らの姿勢を正当化しなければならないかもしれません。
このような行動のバイアスは「(モラル)ライセンシング効果」と呼ばれ、「善いことをした」後に「悪い行為」を正当化することを指します。これは無意識に決定されるもので、個人の生活上でもビジネス的にも、自分自身の実益に反してしまう場合が多々存在します(参照:“Licensing effect in consumer choice,” by Uzma Khan and Ravi Dhar, Journal of Marketing Re- search, 2006, tinyurl.com/vt69uj3n and “Licensing effect,” behavioral economics. com, tinyurl.com/ys2ae375)。
ビジネスにおいて正当化とは、ある機会、姿勢、提案を、実際には論理的または弁護できるものではない場合でも、そのように見せかけるための方法です。正当化すれば、不正確な主張が生じて、最終的には不適当な意思決定に至ってしまいます。些細なことでも、疑わしい正当化を行って承認や資金調達を得たプロジェクトは、道徳的・倫理的に問題を抱えた、より複雑な動き(不正行為を含む)へとエスカレートする危険性があります。その結果、プロジェクトは先へ進まなくなり、破綻の坂道を転げ落ちてしまうのです。私がかつてベンチャー企業で経験したように、組織内の文化が非倫理的な行動を容認している場合、悪化する傾向は強まります。組織内の文化が倫理的価値観を支持していれば、悪化する危険性は低くなります。
精神心理学者のMichael Hurd博士は、正当化の裏に隠された欺まんについて、的確に次のように説明しています。「正当化する人物は、単に事実や論理を避けるだけではありません。それらに配慮しているように装いながら、実際には逃避しているのです。そうやって、『本来は理性的』なはずの人物が事実を無視しながら、さも理知的で分別があるように、その逃避をごまかしているのです」(参照:“The Slippery Slope of Rationalization,” by Dr. Michael Hurd, Nov. 22, 2011, at Drhurd. com, tinyurl.com/2yvynu2m)。
倫理に反する行為や不道徳な行為から言い逃れしようとする際に、「悪魔に操られてしまった」という言い回しは、米国のコメディアンのフリップ・ウィルソンによって有名になったジョークです。しかし、こうした言葉の意味するところは、本当は何でしょうか。そして、そのときの私たちの心理は一体どういう状態なのでしょうか。
「悪魔に操られてしまった」という正当化は、人が自分の行動に対する責任を免れようとする手段です。ある行為について、自分は行いたくなかったのに外部の力が働いて強制された、と主張するのです。自分の行動に対して責任がないと信じている人であれば、自分が何か悪い行動をしてしまったという事実に向かい合わずに済みます。この言い回しには、人間の本質や、複雑な状況下での脳の働きも示唆されていたのです。
正当化とは、自分の行動と欲望の対立から生じる「認知的不協和」(cognitive dissonance)の不快感を抑えようとする脳の働き、とされています(参照:chart “Eight types of rationalized corruption” on page 64 and “On the motivational nature of cognitive dissonance: Dissonance as psychological discomfort, “by A.J. Elliot and P.G. Devine, Journal of Personality and Social Psychology, 1994, tinyurl.com/569cn6c5)。
認知的不協和に関する実験では、正当化を行う前後で態度の変化は観察できますが、その変化の契機となるプロセスは明らかにできていません。
ある決定が変えがたい場合や挑戦が必要な場合、その決定に納得できるように態度を修正することで、認知的不協和の抑制が可能になります。例えば、ある時点までは同じように見えた2つの選択肢の間で悩んだ末、自分が選んだ選択肢のほうに魅力を感じることが少なからずあります。2011年、磁気共鳴機能画像法(fMRI)を用いた実験が行われました。この実験では、脳の特定部位がその後の意思決定に関連する行動の変化と関連していることが分かりました。その結果、意思決定と連動した正当化は、その意思決定と瞬時に連動することが、いくつかの実験結果から示唆されました(参照:“The neural basis of rationalization: cognitive dissonance reduction during decision-making,” by Johanna M. Jarcho, Elliot T. Berkman and Matthew D. Lieberman, Social Cognitive and Affective Neuroscience, Vol. 6, Issue 4, September 2011, tinyurl.com/5n7c52ad and “The neural basis of rationalization: cognitive dissonance reduction during decision-making,” in Social Cognitive and Affective Neuroscience, by Johanna Jarcho, Elliot Berkman and Matthew Lieberman, September 2011, tinyurl.com/2p9fk73b)。
限定倫理性(bounded ethicality)とは、予見される組織や周辺の環境からの圧力や心理的な力によって、人が、自分自身の倫理的な目標や行動を放棄し、自分の価値観に反する道徳的に疑わしい行動を選択するように仕向けられるメカニズムを説明する概念です(参照:“Bounded Ethicality,” The University of Texas McCombs School of Business, tinyurl.com/chy97knn)。
一定の知覚・認知・社会的な認知過程(利己的バイアス)は、意思決定の誤りにつながる危険があります。多くのリーダーは、「自信に満ちていて価値があって強い」といった安定的な自己イメージを伝えようとする結果、「自分は倫理面でも困難に陥るおそれは少ない」と認識してしまいがちです。ところが、利己的バイアスが強いリーダーならば、疑わしい決定や行動がもたらす悪影響を自分は受けない、とさえ考えかねないのです。このような姿勢は、組織とそのリーダーが現実の倫理的、道徳的な葛藤の存在を認識し、それに対峙することをさらに困難にしてしまいます。
限定倫理性は、パブリック・セクターとプライベート・セクターの大半の組織構造に内在していますが、先に説明したように、おそらく起業したばかりの企業ほどは、その傾向は強くないでしょう。
自分の性格やライフスタイルと相反する行動をとる人は、状況倫理の法則に支配されているのかもしれません。状況倫理の概念では、全ての状況に対応した包括的な道徳規範に従うのではなく問題のコンテクスト(文脈)によって道徳規範を決めるべきである、とされています。このような柔軟な倫理観は、個人の責任から免れるような行動規範の正当化に好都合な環境を作り出す可能性があります(参照:“Situation ethics,” BBC, Ethics guide, tinyurl.com/2ws9n7sy)。
批評家は状況倫理に関して、意味のある選択をできない個人に問題がある、と指摘します。その代わりに、確立された倫理的概念や説明責任、責任に関する個々人の価値観に頼るのではなく、利便性や効率性、あるいは「手段を正当化する」というアプローチで「勝ち目のないシナリオ」に対峙する、といった軽減的な要因に依拠しているのです。
行動倫理学(認知・行動心理学、進化生物学など)の新領域の研究は、私たちがすでに認識していた事実、つまり、人は完全に正当化や合理化できる存在ではないことを改めて証明しました。倫理的な判断の大部分は感覚に基づいた直感的なもので、理路整然とした分析から得られるような余裕はほとんどありません。一般に、倫理的に問題がある決定を下す人は、状況的な要因だけでなく、利己的バイアスや適合へのプレッシャーなど、意識的・潜在的な影響を受けているものです(参照:“Ethics Unwrapped: Behavioral Ethics,” The University of Texas McCombs School of Business, tinyurl.com/373p7mk3)。
人は、その場しのぎの道徳的な正当化を行っていると、さらに非倫理的な行動をとる傾向が強くなります。これは、個人的なアイデンティティーにおいて道徳性をあまり重要視していない人に特に顕著な傾向です。このような「低い道徳的アイデンティティーを持つ人」は、時間の経過とともに非倫理的な行動の度合いが高まる場合もあります。一方、「高い道徳規範を持つ人」がこのような状況に陥る場面は少ないと考えられます(参照:“Moral Rationalization Contributes More Strongly to Escalation of Unethical Behavior Among Low Moral Identifiers Than Among High Moral Identifiers,” by Laetitia B. Mulder and Eric van Dijk, in Frontiers in Psychology, Jan. 8, 2020, tinyurl.com/37zmumf4)。
非倫理的な行動の正当化は容易です。「それほど悪くない」、「誰だってやっている」、「後で埋め合わせをする」、そのように自分に言い聞かせるのです。しかし、実際には非倫理的な行動の正当化は、ビジネス・チャンス、キャリア、そして人間関係や自尊心までも傷つけてしまいます。誠実さを失い、レピュテーション(評判)を傷つける恐れもあります。そして、誤った行動に対する責任感を鈍化させ、さまざまな不正行為やそれらの結末など、より重大な問題を抱えてしまう危険性が存在するのです。
「FRAUDマガジン」のスタッフライター。2010年からACFEグローバル・カンファレンスのプレゼンター及びリーダーシップポジショニング/インフルエンス・ストラテジストとして活躍。Donn LeVie Jr. STRATE- GIES, LLCの社長であり、講演、執筆、リーダーシップのパフォーマンス向上、経営者の影響力強化、より深い戦略的つながりの育成を目的としたプログラムの指導を行っている
本記事はFRAUD MAGAZINE Vol.38 No.1 JANUARY/FEBRUARY 2023の“CAREER CONNECTION”を事務局で翻訳したものです。意訳が含まれている部分等がございます。ご了承ください。