基調講演:Miranda Patrucic
ガーディアン賞受賞者、汚職撲滅の闘いを最高レベルへと引き上げる
Guardian Award Winner Takes Corruption Fight to Highest Levels
6月13日(火)9:00〜 基調講演
ミランダ・パトルチッチ氏は、調査報道ジャーナリストとして駆け出しの頃、編集者のドリュー・サリバンから「奇跡を起こして」と言われたものだ。その時は全くわけがわからなかったが、バルカンの小国モンテネグロの長年の指導者であるミロ・デュカノヴィッチのプロフィールを担当することになった彼女は、その意味をすぐに理解することになった。
「モンテネグロについて何も知らなかったのに、その国の最高権力者である首相を調査しに行くことを決意したのです」と、第34回ACFEグローバルカンファレンスの2日目のオープニングセッションで、満員の聴衆を前にパトルチッチ氏は振り返った。
デュカノヴィッチが巨額の資産を持つという噂は地元ではよく聞かれたが、そのような話が真実であるという証拠はなかった。彼の不動産登記簿を取得し調べるのが当然の出発点と思われたが、パトルチッチ氏はそれを調べるのに必要な国民保険番号を持っていなかった。そこで、決意を固めた彼女は苦肉の策に出た。彼女は全ての登記簿を、通りから通り、建物から建物としらみ潰しに進み調べ、ある日の夜中3時に、なんとデュカノヴィッチの所有する物件に行き当たった。サリバンに電話すると、「奇跡が起きたね」と言われた。
パトルチッチ氏と他の記者たちは、1990年代からバルカン半島の小国で首相や大統領として権力を握っていたデュカノヴィッチが、1470万ドル相当の不動産や会社の株式を所有・管理していることを突き止め、彼の月給1700ドルとは対照的であることを明らかにした。
この記事はパトルチッチ氏にとって初めての大スクープであり、彼女を一躍有名にした。それ以来、パトルチッチ氏は世界中の汚職に関する記事を数多く発表し、最近では、サリバンが共同設立した組織犯罪と汚職に焦点を当てた調査報道ジャーナリストの世界的ネットワークであるOCCRP(Organized Crime and Corruption Reporting Project)の編集長に昇格した。また、ACFEガーディアン賞の受賞者でもある。この賞は、決意と忍耐、真実へのコミットメントが、不正との闘いに大きく貢献した人物に贈られるものだ。
パトルチッチ氏の決意は、不正と汚職の真実を明らかにする上で、あらゆる違いを生み出してきた。デュカノヴィッチの不正蓄財を暴いた直後、彼女は彼の家族が所有する銀行に関する情報を追い求めた。2008年の世界金融危機の際、デュカノヴィッチ政権はこの銀行を救済しており、家族や友人への融資のための資金源になっていると考えられていた。プライスウォーターハウスクーパース(PwC)の監査資料は、どこにも見つからなかった。「記者たちに尋ねたら、『もう忘れろ。絶対に手に入らない』と言われました」とパトルチッチ氏は言う。
3年後、パトルチッチ氏はある情報筋に同じ質問をしたところ、マネーロンダリングや麻薬王の口座開設の証拠を示す書類の山を渡された。これでパトルチッチ氏は、デュカノヴィッチに関する新たな話題作りに成功した。
ある日、スウェーデンのジャーナリストから電話があり、スウェーデンの通信大手テリアソネラ社がウズベキスタンで結んだ3億2千万ドルの3Gライセンス契約の裏に誰がいるのか知りたいと言われた。「私は全く知らなかった。」とパトルチッチ氏は笑う。「でも、結局、契約と引き換えに賄賂を受け取っていたのは、大統領の娘であるグルナラ・カリモワだと証明できたのです」。
ボスニア・ヘルツェゴビナ出身のパトルチッチ氏は、地球上の何十億ドルもの汚職を暴く自身の人生は、しばしば映画のように思えるという。「10億ドル以下の案件なら、私に電話なんてしないでと冗談を言うこともあります」と彼女は笑う。
しかし、調査報道記者の生活には、パトルチッチ氏が必ずしも自覚していたわけではない特有の危険も伴う。彼女は、モンテネグロのある人物が、なぜ自分の命の価値を聞いてきたのか、それが殺害予告だとは知らずに編集者に尋ねたことを思い出す。「彼は『この国からさっさと出て行け』という感じでした。」。
それ以来、MI6の元工作員がパトルチッチ氏に監視対策や、誰かに尾行されていることを知るためのタイミングなどを指導した。彼女はまた、汚職を暴くために、不正検査士がジャーナリストと情報や技術を共有する必要性を強調した。「私たちの仕事に関心を持ってくれる人も必要です。このような評価を受けて、私はより安全になりましたから、この賞はとても意味があります。」と彼女は語った。
1990年代にボスニアで起こった残酷な内戦の中で育ったパトルチッチ氏は、このような危険と無縁ではない。「戦争があったからこそ、今の私があり、ここまで汚職にこだわるようになったのです」と、彼女は言う。
「戦争中、重要だったのは、何が起こっているかを伝えることでした。なぜなら、その国にいなければ、誰も知らないからです。だから、たとえ何か起こらなくても、なぜ私は汚職を暴露するのでしょうか?知らなかったと言われないために、暴露するのです。今はすべてがオンライン化されているので、知らないという選択肢はないのです。」