「いじめ」問題への対応が学校の手に余るようで、警察の不作為を非難し積極的介入を促す論調が強くなっている。 戦前の強権的・過剰介入的な警察のありようへの歴史的反省の上に、戦後の新たな警察制度が発足したが、その基本精神は「警察は警察でしかや れないことを仕事の中心課題・正面の責務にしていこう」ということであった。市民生活や家庭内の私事への過剰介入を控え、社会各層の自治自律に 委ねられた領域からはやや距離をおいた活動を心がけた。すなわち、市民の私的領域への干渉に自制的・謙抑的な姿勢を心がけ、戦前のいわば「大き な警察」との対比において「小さな警察」と呼ぶことができるものとなった。
警察が控え目な存在であり、市民一般の眼からは「小さな警察」でありえた前提条件として、学校・職場・地域社会などがみずからの抱える紛議 軋轢・懸案課題をみずからの手で解決しようという意志意欲と能力を持っていたことが挙げられる。ところが昨今、社会各層が有していた自治自律機能が大幅に低下したことが、警察と社会の関係を大きく変えた。事後制裁的・受動的姿勢では物足らず、事前の段階から能動的な警察の対応を社会の側が積極的に要求するようになってきたため、旧来の「法は家庭に入らず」「民事不介入」の姿勢がそのままでは通用しない事態となった。
かつては「夫婦喧嘩は犬も喰わない、犬も喰わないものは警察も喰わない(能動的な対応は控え目に)」というのが世間一般の理解であり、私的領域への警察の過剰介入は求めない、という市民社会側の合意形成があった。しかし、家庭内暴力・DV・児童虐待・ストーカー事案など社会や家庭の病理現象が拡大するにつれて、市民の私事関係からはいささか距離をおいた「小さな警察」の前提条件が変質してきたことを改めて認めざるをえない。
「いじめ」についての教育現場への警察の介入度合いも、この観点から見直しと再調整が迫られている。警察の「やり過ぎ」ならぬ「やらな過ぎ」はもちろん厳しく責められるべきだが、反面、世間に隠し通せなくなった持て余し事案はすべて警察に委ねて厄介払い、との退嬰姿勢が教育現場に生じる懼れはないのか。教師の息子の元警察官は心配している。
元近畿管区警察局長
財団法人日本道路
交通情報センター 理事
ACFE JAPAN 理事