おなご先生役を松下奈緒が演じるリメーク版「二十四の瞳」をTVドラマで見た。木下恵介監督、高峰秀子主演のオリジナル版のほうがよかった なぁ、と思いつつも、戦場で負傷し失明した磯吉が小学校一年当時の記念写真を指でなぞって級友一人ひとりを言い当てる場面をはじめツボには まったシーンの連続に、つい涙腺がゆるんでしまったのは、こちらが年を重ねたせいかもしれない。映画や小説に初めて接したとき、さほど感動し なかったのは、青臭く生意気盛りの中高校生だったからだろう。
ところで、今回ようやく気づいたのは、ほがらかな大石久子先生が、教え子たちの有為転変に対して手をこまねいてオロオロと涙ぐむばかりで、 頼りない新米教員だったことだ。昨今の学校ならばモンスターペアレントが登場するまでもなく、指導力不足・学級崩壊まちがいなし。少々のこと があってもたじろがない指導力と強い意志、現代の教師に求められているさまざまな条件からは程遠い存在なのが「二十四の瞳」のおなご先生だった。
あまりにも高い目標を与えられたとき、人はやがて期待値を達成できぬことに疲労困惑するか、それとも最初から努力を放棄するか、どちらかを選ぶようになる。要求過剰の今の社会風潮は、教師自身が育っていく環境として適切なのかどうか。保守的な村にきたハイカラ先生ゆえ、当初は摩擦や敬遠があったものの、根っこのところでは尊敬のまなざしで見つめられていた若いおなご先生は、教師として成長していく恵まれた環境にいたのではないか。
涙と喜び、挫折と達成感、幾多の経験をへて、聖人君子でもスーパーマンでもない平凡な新任教師が一人前の先生になっていく。今の社会はせっかち過ぎて「育つ時間」を与える余裕を失っているというのであれば、イソップ寓話「ガチョウと黄金の卵」ではないが、残念なことだ。頼りにされ暖かい視線に囲まれている僻地勤務の駐在さんとの対比で、ささいなミスも容赦しない批判的な視線に取り囲まれ、締めつけも一段と厳しいため萎縮しがちな昨今の新任警察官の行く末を案じていて、学校の先生も似たような状況なのだなぁ、と思い至った。
元近畿管区警察局長
元財団法人日本道路
交通情報センター副 理事
ACFE JAPAN 理事