さて今回は、CFE でもあり、バーナード・マドフ (Bernard Madoff) 氏を SEC (U.S. Securities and Exchange Commission, 米国証券取引委員会) に告発した、ハリー・マーコポロス (Harry Markopolos) 氏について取り上げる。
ハリー・マーコポロス氏の写真[図1]
Hi Machiko!
I'm busy with cases these days and try to avoid giving too many interviews. If you Google my name+interviews you'll see hundreds of them on-line that you can pick and choose from. I think I've answered enough questions on that case that you'll find the answers to whatever your questions are on-line. Best regards, Harry
訳:最近いくつもの事件で手が放せなくて、インタビューは極力避けているんだ。Google で「Harry Markopolos interview」と検索してもらえばたくさん出てくるから、そこから選んで取り上げてくれるかな。あの事件については十分質問に答えてきたと考えているから、君の質問とその答えもそこで見つけられると思うよ。ハリーより
これを受けて、今回は、ハリー・マーコポロス氏の公聴会での発言と、彼の手記を取り上げる。
今日、この場で皆様にお話しできることをありがたく思います。
私は、バーナード・マドフ事件において、9 年間近く戦ってきました。2000 年 5 月から 2008 年 12 月までです。
まず、マドフ事件の被害に遭われた方や、そのご遺族に、心から同情いたします。この事件は、私にも大きな苦しみを与えました。
被害者のためにも、SEC に繰り返してきた警告についてお話します。
マドフ事件の被害者と、自分自身が取った行動について、お聞かせください。
マドフ事件の被害者の多くは、すでに現役を退いている方がほとんどです。この事件を解決して被害を回復しようとするには、もう年を取りすぎている方が多かったと思います。マドフが狙いを定めていたのは、医療サービス、コミュニティー サービス、奨学金制度などを提供する慈善団体に所属する高齢者でした。
SEC (U.S. Securities and Exchange Commission, 米国証券取引委員会) にはマドフの詐欺行為について何度も告発しましたが、その度に「そんな事件は起きていない。以上」の一点張りでした。
しかし私は、マドフのねずみ講詐欺を止めるために、その詳細を提出し、SEC に調査を行うようにと告発を繰り返しました。この時点で私は、弁護士の指示に従い、最善を尽くそうと決意していました。
2000 年 5 月の SEC に警告した時点なら、まだ 30~70 億ドルの被害で済んでいたはずです。私たちは、すでに彼の詐欺行為を把握していたのです。
その時に止められなかったのはなぜでしょうか?
私たちのチームは、詐欺の兆候を数学的に証明する資料を提出して、SEC に理解してもらおうとしました。すぐその場で対処できれば、70 億ドルで被害は済んでいたのです。
しかし SEC の担当者は、金融の専門知識を持っているにもかかわらず、21 世紀の複雑な金融手法については理解できないようでした。
SEC が動かない状況で、その後は、どうなりましたか?
2001 年 10 月には、マドフはさらに 200 億ドルを集めています。この時点で私達は (マドフの詐欺行為について) より強く確信し、より多くの証拠を SEC に突きつけました。
2005 年 11 月には、さらに 300 億ドルの被害と、詐欺を示す 29 の兆候を見出し、ようやく SEC は、マドフの行為を止めるための調査に着手します。
残念なことに、2000 年、2001 年、2005 年、2007 年、2008 年と証拠書類を提出していたにもかかわらず、さらに 500 億ドルの被害を出してしまいました。なぜこのような事態になるまで誰も警告に耳を傾けてくれなかったのか、この場で今すぐにでも答えが欲しいところです。
途中で諦めようと思いませんでしたか?
そうですね。何度も諦めようと思いました。
しかし私は、CFE であり、チームで高度な訓練を繰り返してきました。勇気を振り絞り、危険を冒してでも、この事態を明らかにしたかったのです。
ニューヨークやマサチューセッツ (にある SEC の支部) に行ってもまったく意味がないので、私は SEC の本部に行き、自分のこれまでの取り組みを見せました。SEC は、警告しても 9 年間、まったく動こうとしなかったのです。
なぜ SEC は動かなかったのだと思いますか?
SEC は、証券業界を取り纏め、規制を行っている機関です。そのため、最も強力な大企業に関する大事件の発生を恐れているわけです。
マドフ氏はウォール ストリートで最も権力のある投資会社の一つでした。彼はマドフ証券という証券会社の創業者であり、証券会社に影響力を持つ産業協会の役員を務めています。
SEC は、明らかにマドフ氏を恐れていたのです。
SEC に対して思うことはありますか?
私がマドフ事件において最も不安と怒りを感じたのは、SEC の誰ひとりもこの事件に対して動こうとせず、また、誰ひとりも個人的な責任を感じていないということです。
調査にまでこぎ着けたのは、どういった経緯があったからでしょうか?
SEC 認定財務アナリストでもあるエド・マニオン (Ed Manion) 氏がいなければ、私は 2 年目で調査を止めていたかもしれません。彼はただ一人、私とチームに対して調査を許してくれた人物です。彼には本当に感謝しています。
マドフ氏が逮捕されるまで、マーコポロス氏は恐怖に怯える日々を過ごしていた。その様子を、マーコポロス氏は次のように記している。
何年もの間、私がマドフを追跡することで私自身も私の家族までも危険にさらしているのではないかという恐怖に怯え、まるで死刑宣告をうけたような気持ちで暮らしていた。数十億ドルの金が出資されていたが、自分の投資金を守るためなら人を殺しかねない一部のロシアのマフィアや麻薬カルテルのものだったであろう。(中略) そんなわけで私は、車体やタイヤがちゃんと動くのを確認してからでないと、エンジンをかけたことがなかった。また、夜間には人影からは離れて歩き、銃をベッドの傍に置いて眠った。そんな生活が (中略) ついに終わったのである。警察はマドフを捕まえた。私は初めてこぶしを挙げて空高く叫んだ。「良かった!」家族は無事だった。それから、木の手すりに倒れこんだ。落下しないように手すりを掴み、呼吸するのがやっとだった。私が指をパチンと鳴らす間もなく、疲れ果てた状態からエネルギーが満ち溢れた状態に変わった。 参考文献 2. より引用
マドフ事件におけるマーコポロス氏の姿勢からは、CFE としての有り様、CFE がどうあるべきなのかを考えさせられる。
次回は、天才詐欺師マドフに続けて、ノンフィクション小説「Catch me if you can」(邦訳「世界をだました男」) で知られる、フランク・アバグネイル Jr. (Frank William Abagnale, Jr.) 氏についてお話する所存です。
株式会社ディー・クエスト 公認不正検査士 山本 真智子