ホワイトカラー犯罪における研究の父、サザランド。彼は犯罪学者であり、犯罪学に関する分野において幅広く知られている人物であろう。特に、犯罪原因論に関して、最も有名である分化的接触理論を提唱した人物でもある。
分化的接触理論では、頻度、持続期間、強度、優先順位という 4 つのキーワードが重視される。個人が犯罪や逸脱行動に走るかどうかは、それらに触れる頻度や期間、関り合い (強度・優先順位) の深さが強く関係する。犯罪が日常的に行われ、それが当然であるように思われている環境では、多くの個人がその状況を学習し、自らも犯罪に手を出すようになる。
個人は、それぞれが属する集団と完全に切り離すことはできない。分化的接触理論は、それらのグループ (社会) で行われる犯罪行為や逸脱行動が、そこに属する個人に影響を与え、そのあり方を個人に学習させてしまう、という考え方を基にした、環境犯罪学と社会学を融合させた理論である。
サザランドは、本名エドウィン・ハーディン・サザランド (Edwin Hardin Sutherland 1883-1950)。アメリカ、ネブラスカ州で生まれ、シカゴ大学で社会学博士号を取得し、後に数々の大学で学部長を務めた人物である。
彼はまた、それまで提唱されていた生物学的、心理学的な観点から「犯罪」を説明していた理論を切り離し、「犯罪」を説明するにあたり、社会学という大きな分野を傘ととらえ、その傘の下に犯罪学分野が存在し、また社会学が犯罪学にもたらす役割が計り知れないほど重要であると熟考していた。
彼は、犯罪学の歴史において、最も貢献した人物とされている。アメリカの犯罪学において、教科書の作成、犯罪原因論 (分化的接触理論) の研究、ホワイトカラー犯罪の研究と数々の活動を行った人物であり、また、社会学的な観点から犯罪を説明した最初の人物でもある。
このコラムではホワイトカラー犯罪が取り上げられるようになるまでの歴史を紹介したい。
サザランドのホワイトカラー犯罪への興味は、1920 年までさかのぼる。彼が初めて「犯罪学」の教科書を書き上げたとき、彼は、従来の犯罪原因論は、ほとんどが下流階級の犯罪性について焦点を当てており、中流から上流階級の犯罪性について理解できるものが掲載されていないことを認識したのだ。
彼は、自分が唱えた分化的接触理論が、犯罪への学習過程において階級を問わず (下流から上流階級まで幅広く)、犯罪性について正確に説明することが可能な一般的な理論であると信じていた。しかしそんな中、1929 年の株式市場の崩壊により、アメリカは長い経済危機に入ってしまった。非常に多くのアメリカ人が生き残りをかけてあえぐ中、なりふり構わずにお金を得ようと、身近にある金品を掠め取る"横領"が増加した。そこで、1930 年代を通して、サザランドは、横領者の犯罪に関するデータを収集し、インディアナ大学で大学院生とホワイトカラー犯罪の概念化と細論化を行った。
彼は、社会から脱落した人々が犯罪を生むとする犯罪者観に対し、ホワイトカラーと称される社会的に信望を有する高い地位にある階層の者も、その職務の過程において社会的に大きな害をもたらす逸脱行為を行っている事実を明らかにした。そして、米国社会学会においてホワイトカラー犯罪について取り上げる機会を設けたのである。
これが「ホワイトカラー犯罪」の出現であり、そしてサザランドがホワイトカラー犯罪における研究の父であるとされた歴史である。
次回は、社会科学の分野を少し離れ、「犯罪学」を「科学」で説明する分野"Forensic Science (法科学)"から、法科学と不正調査の文書分析において使用されている Fingerprints (指紋) についてお話する所存です。
株式会社ディー・クエスト 公認不正検査士 山本 真智子