不正実行犯が不正に手を染めるまでには、個人の意識 (mind) だけではなく、行動と環境の関連性も影響している。人が環境に適応するには社会や環境を把握する必要があり、その過程には脳や心による感覚や知覚を通じた学習が存在する。
人間の情報処理については、知覚・感覚・記憶などに着目した認知心理学 (Cognitive Psychology) を始め、様々な研究が行われている。これらの研究は、犯罪心理学や行動科学においても重要視されている。
今回は、神経科学 (Neuroscience) から、感覚と知覚について取り上げる。
感覚と知覚について文献を確認すると次のように記載されている。
「一般に感覚は、色や明るさや個々の音、味匂いなどの単純な感性経験を指し、知覚は、形や物体、メロディ、言葉どの複雑な感性経験をいう」(参考文献 1, p.18)
一例を挙げよう。
会社に行けば、社内の様子が見える。これは知覚のうちの視覚から得られる情報だが、そこには、机、パソコン、タイムカードとレコーダー、スケジュール ボード、上司や同僚などの物や人の存在だけではなく、明るさや色なども含まれる。しかし、特に意識を向けないかぎりは、それらをひとつひとつの要素 (たとえば 1 台のパソコン) ごとに認識しているわけではなく、それらをまとめてひとつの情報として受け取っている。
音も同様である。聴覚から得られるのは、個別の周波数の音の有無ではなく、複数の音により構成されるメロディや言葉のようなまとまりとしての音である。
つまり、私達が捉えている知覚とは、まとまりとして得られる情報であり、ひとつひとつの感覚を要素ごとにとらえているわけではない。そして、その感覚には限界があり、その対象範囲内にあるすべてのものを知覚できるわけでもない。
さらに脳には、知覚・認識できなかった部分について、認識した要素を使用して補完して全体を把握しようとする働きがある。心理学でもおなじみのゲシュタルト知覚原理は、この働きの代表的な一例である。
ご存知の方も多いだろう。
この絵は、大きく分けて 2 種類の認識ができる。
白色で描かれた絵として捉えると白い壺 (または器や台座) として見え、黒色で描かれた (中央部を切り抜いた) 絵として捉えると二人が向かい合っている (対面した横顔の) ように見える。
ただし、この例が示すように、人によっては自分とは異なる認識をしている (可能性がある)、ということについては常に意識しなくてはならない。
詐欺は、主にこの認識の差を悪用しようとするものであり、また、不正の防止・抑止には、このような認識の差が穴とならないように注意する必要がある。
視覚について詳解する。
視覚は、対象物の輪郭 (境界) の識別を主とする。また、認識・把握の過程においては、距離や類似性により (無意識に) グループ化が行われる場合もある。
ある一面での印象が、それとは関係のない別の要素の解釈に影響を与えることも多い。
たとえば、ある場所に人が集まっている。そこから人が出て来るのを見たときに、その人はその集まりに属していると思い込んでしまうことはないだろうか。
他にも、顔立ちや体付きを見て、こういう人だと思い込んだりしていないだろうか。統計的に傾向があることは判っているが、その人がそうであるかどうかは別である。
もう少し体験していただきたい。次の絵は、どのように見えるだろうか。(どのように見えるかは文末に掲載している。)
いずれの絵も 2 つの見え方があるが、うち一方は認識できても、もう一方は認識できない、あるいは、もう一方の認識に時間が掛かる、ということがある。
これは、人間の脳の性質としてひとつの要素に対して複数の解釈は同時に行えず、また、視覚による知覚はまとまりとして認識されるからである。
ここでは視覚を例に挙げているが、これに限らず、知覚を通じて得た"ある認識"が他の認識を排除してしまう可能性があることには、十分注意する必要がある。
「こいつは不正をしている!」と指摘されている人物が突然目の前に現れた場合、あなたは先入観を持たずに対応できるだろうか?
認識が心理現象にどのような影響を与えているのかを意識して欲しい。
不正検査士マニュアルには「専門職としての懐疑心を晴らすことができるのは、証拠のみである」(2015 年 インターナショナル エディション 日本語版, p.4.1011) と書かれている。認識の誤りや思い込みにより間違った判断を行うことのないように気を引き締めないといけない。
株式会社ディー・クエスト 公認不正検査士 山本 真智子