第12回目の理事長対談は、2022年開催の第13回ACFE JAPANカンファレンスにおいてスペシャルゲストプログラムとして実現した、オリックス株式会社シニア・チェアマン、宮内 義彦 氏との対談を特別に編集してお届けします。宮内氏の近著「体験的ガバナンス論」(2022年刊行)を参考に、日本企業のガバナンスの現状と本来あるべき姿、そして、日本のコーポレートガバナンスの未来について議論いただきました。
(聞き手:ACFE JAPAN 理事長 藤沼 亜起)
※本記事はACFE JAPAN第13回カンファレンスでの対談を再構成したものです。
著者:宮内 義彦、八田 進二
進行:堀篭 俊材
出版社:同文舘出版
発売日:2022年4月22日
中央大学商学部卒。1974年公認会計士登録。国際会計士連盟(IFAC)会長(2000-2002)、日本公認会計士協会会長(2004-2007)、IFRS財団評議員会(Trustees)副議長などを歴任。日本公認会計士協会相談役。
1935年神戸市生まれ。64年オリエント・リース株式会社 (現オリックス株式会社)入社。70年取締役、80年代表取締役社長・グループCEO、2000年に代表取締役会長・グループCEOを経て、14年シニア・チェアマン就任、現在に至る。これまで内閣府の規制改革・民間開放推進会議委員議長など数々の要職を歴任。現在、日本取締役協会会長、新日本フィルハーモニー交響楽団理事長などを務める。
本対談は、長年にわたり企業経営の中枢を担ってきた宮内 義彦氏と監査論の研究者であり、当協会の評議員会会長を務める八田 進二氏が、それぞれの経験に基づき、議論した内容をまとめた「体験的ガバナンス論」を参考に進行いたします。まず、冒頭に書かれている「コーポレートガバナンスの基本型」について、組織の目的(目標)を効率的に達成するにはどのような制度や形態が必要か、ご説明していただけますか。
組織とは人間の集まりで、目的を持ったものを組織とすると、その運営のための基本的な原則としてガバナンスが存在すると私は理解しています。組織の目的を最も効率的に達成するためにはどのような統治機構・ガバナンスが必要か、組織的に動かなくてはならないのは企業となりますので、いわゆる「ガバナンス論」の中ではコーポレートガバナンスが最も研究され、実践されていることが、現代社会における組織の実態だと推察します。
能力のある組織のリーダーをまず選び、社長を頂点とする執行部門に任せること、次に、業務執行が目的達成にかなっているかを監督・モニターするために、過半数が独立社外取締役で構成された取締役会がチェック・アンド・バランスの関係を作ることが必要である、と著書の中で記されていますが、より具体的にはどうあるべきだとお考えですか。
コーポレートガバナンスにおいて最も重要なのは、しっかりとした執行部をつくることです。理想論ではありますが、企業目標に執行部が100%のエネルギーを以て最短距離で達成していくことが企業のあるべき姿であり、それを横から冷静にチェックしていくのが取締役会の在り方だと思います。従いまして、取締役会が監督・モニタリング機能の中枢となる必要があります。執行部が目的達成のために不十分となった場合には、取締役会が執行部を替えるという実行力を持たなければ、評論家のようになってしまい、モニタリングの意味がありません。そのためにも、取締役会の過半数が利害関係のない独立取締役で占められることが大前提となります。社外役員を1名入れれば良いなどと言っている段階では、まだまだ企業のガバナンスとしては不十分なままです。そういう意味で、私は日本のコーポレートガバナンスは発展途上であって、まだ十分なところまでいっていないと思います。
確かにその通りですね。宮内さんは、企業の効率的運営にはガバナンスの確立がその基礎となり、企業に対する社会的要請が中長期的に成長し経済的果実をつくり出していくこと、市場原理に基づく公正な競争が確保されて初めて劣ったものが除かれて、優れたものが生き残る、と著書で記されていますが、こちらも補足して説明いただけますか。
社会の中で経済的な富を最も効率的かつ有効につくり出すのが企業活動であり、社会における経済部のような役割を果たすものが企業です。企業の存在理由は、できるだけ多くの富を社会につくり出すことにあります。それが達成できれば、資本主義社会が、社会から見て経済的に有用である、と存在を許されるのだと思います。しかし、大した働きがないのであれば、なぜ企業社会を尊重しなくてはならないのかということになりますから、企業は社会に対してどれほどの富をつくれるのかを競い合う必要があります。市場原理がその中に埋め込まれるのですが、市場原理とは、マーケットに多くの参加者がいて、その優劣を競った結果、優れたものが社会から選ばれ、劣ったものが社会から捨てられる、つまり、優れたものが残ることによって大きな富が社会に還元されるシステムだと私は理解しております。
ありがとうございます、よく理解できました。次に、独立社外取締役が課せられた責務を自覚して、持つ権限を十分に活用することが、日本経済復活の早道になる、と述べられていますが、私も社外役員をやっていた経験から申しますと、意外と忖度するといいますか、残念ながら、執行部の発言を防御する社外役員が多いわけです。そうではなく、社長に対しても、執行部に対しても発言でき、チェック・アンド・バランスの役割を果たすことができる社外役員とは、どのようなイメージの人になるのでしょうか。
社外役員というよりもむしろ、独立取締役ですね。何のために、誰によって任命されたかが重要だと思います。取締役会の中でも1~3名ほどの独立取締役は、どちらかというと、執行部のトップの意向に基づいて任命されているわけですから、ガバナンスという考え方から見ると、とても不十分であると言えます。取締役会の中の指名委員会が大きな権限を持ち、執行部とは関係なく、その他の独立取締役を指名するということを続けていけば、取締役会の構成が執行部とは利害関係のない、独立した立場の取締役会になるわけです。そして、独立取締役がそれぞれ、社長及び執行部が会社の目的を十分に達成しているかどうかを冷静に判断することを続ける。言うならば、株主総会を毎月行うという形で、執行部をウォッチし、業績を図るのが彼らの仕事となるわけです。
残念ながら、日本において今の社外取締役は、ちょっと言葉が滑りますが、誤解を怖れずに申し上げると「自分たちが何のために社外取締役になっているのかわかっているのだろうか」と思わざるを得ない場合があるのではないでしょうか。なぜかと言いますと、日本の上場会社の業績に注目すると、全く業績の伸びていない会社があるわけです。しかし、日本において長期間存続している会社の社長が業績不振を理由として更迭されたという例は新聞の記事になるくらいでしかありません。私が見聞きしたことで言うと、例えばアメリカ企業の社外取締役はとても厳しく、大体2年で目標を達成できなければ、すぐに独立取締役によるサーチコミュニティを立ち上げて、ヘッドハンターを招いて次の社長候補者を出すように要求します。だから、欧米の企業は伸びて、日本企業は伸びないのです。少々言い過ぎかもしれませんが、コーポレートガバナンスの欠如が相当影響しているのではないかと思います。
私が国際会計士連盟(IFAC)の会長を務めていた際に、事務局長に辞めていただいたことがありました。ヘッドハンティングのコンサルティング・ファームにこれくらいの業務内容と給料水準で人材を探してもらいたいと依頼すると、すぐにリストが出てきた経験があります。確かに、経営者層のマーケットが厚く非常に合理的だと感じました。
2015年に日本のコーポレートガバナンス・コードが公表されて、その後2度改訂がありました。日本企業のガバナンスの確立について、宮内さんはどのようにお考えでしょうか。
日本のガバナンスは、3年前、5年前、10年前に比べると、相当進歩したことは間違いありませんが、しかし、現時点で欧米の資本主義国と比べると、はるかに遅れているというのが実態だと思います。ガバナンス・コードでは、執行を監督する機能を持つ独立社外取締役を増やすように要請されていますが、例えば、東証プライム市場に求められる独立社外取締役の割合が全取締役の3分の1以上というルールも不十分で、もし不適当なトップがいたときには何もできないことになるわけです。これではガバナンスが構築できていないということになると私は思います。
「半数以上が社外の独立取締役でなければチェック・アンド・バランスが効かない」という宮内さんのご指摘は、まさにそのとおりだと思います。ところで、日本の上場会社はプライム市場にいないと、採用などの局面でレピュテーション(評価、風評)の問題が生じると考慮しているのでしょうか。
どうなのでしょうね。「みんなプライム市場だから、みんなのところにいたい」、とでもいうのでしょうか。もし、模範的な企業をピックアップするのであれば、現状のような企業数が多いプライム市場はあり得ないと私は思いますし、私が考えるプライム市場になるべき会社の資格とは、委員会等設置会社であるか、過半数が独立取締役であるか、あるいは、過去の業績の伸び率がどれくらいであるか、などのいくつかの厳格な条件をクリアすることです。そうした、ほんの一握りの企業がプライム市場に属し、その他の会社はそこを目指して頑張る、というような構図が「プライム市場のあるべき姿」だったのではないでしょうか。
東証の市場改革については、プライム市場は100~200社を選び、他社にプライムへの昇格を促す、つまり、競争しなさい、ということですね。著書の中では、トップ100社の社長を半分ほど外国の方に任せること、PBR(株価純資産倍率)が1以下の会社は市場から警鐘を受けていると考えよ、といった意見が八田先生との議論で交わされておりますが、なかなか厳しいですね。
これは言い過ぎですけれども、それぐらい厳しい姿勢で企業経営に臨んで欲しいという私の希望です。
宮内さんは「経営者がどうしてもコンプライアンスや順法精神を重視しすぎるきらいがあり、結果的に長期的価値の創造が大事であることを忘れているのではないか」、との考えもお示しになっています。宮内さんのように厳格な理念を持った方でなければ、多くの経営者にとってはなかなか辛い指摘ですね。
日本のガバナンス・コードは、結局、内部統制やコンプライアンスなど、不正を許さず、説明責任の果たせるような形での会社運営を重視しているわけですね。私は、企業というのは、思い切って長期的に伸ばすためにもアクセルを思い切り踏み込む一方、その結果として生じる状況に対処するためには、ブレーキもしっかり準備しておかないといけないと思っています。そのブレーキ役として、まさに内部統制などをしっかりと構築しておくべきなのですが、言葉を選ばずに日本の現状を申し上げると、完璧なブレーキをつくるための議論ばかりで、アクセルの話が全く出てきていない気がしてならないのです。
アクセルとブレーキは相互に補完するもので、車を走らせる上では両方が不可欠です。ところが、ブレーキの議論ばかりが進んでいる、と。確かに、それだけでは成長に限界が生じてしまいます。宮内さんのお考えは、つまり、経営者は長期的価値の創造を主眼に置いて「アクセルとブレーキ」を考えること、大局的な観点で企業経営できる体制を構築しなさい、ということですね。
もちろん、立派なブレーキがあることは歓迎すべきですが、経営者にはアクセルの話もしてほしい、というのが、私の率直な気持ちなのです。
日本の会社法における機関設計には、指名委員会等設置会社、監査等委員会設置会社及び監査役会設置会社の3タイプがあります。現状、監査役会設置会社が一番多いのが現状です。宮内さんは、指名委員会等設置会社につくられた指名・報酬・監査の3委員会が過剰な権限を持ってしまい、取締役会を飛び越えて委員会の決定事項を株主総会に上程できてしまう、つまり「スーパー委員会」になっている、と厳しい見方をなされています。「スーパー委員会」という表現はまさに的確で、委員会が大きな権限を持ってしまい、そこでの決定事項を取締役会の審議に諮られないでいいのか、と私も感じておりました。宮内さんはこうした「スーパー委員会」は見直して、社外取締役が過半数を占める取締役会に監督機能を持たせる体制が望ましい、とお考えですが、詳しくお伺いできますか。
コーポレートガバナンスが日本に欠けている要因として、数の上では大部分を占めていた監査役会設置会社のガバナンスが効かない企業形態を中心に、機関設計の在り方の議論がされてきました。その中で、欧米に倣って指名委員会等設置会社を制度化したわけです。その時に、独立取締役が過半数になるはずがないという意見があったことにより、3委員会は独立取締役が過半数で構成され、指名・報酬・監査という大事な決定権を「スーパー委員会」に与えて取締役会を外す、という考えができたのではないかと思います。
ですから、これが理想形ではないのですよね。指名・報酬・監査の3委員会が取締役に対して各々の立場・専任領域に関してリコメンデーションをして、それに基づいて取締役会が議論して決断する仕組みがあるべき姿なので、これはもう、機関設計が間違っていると思っています。しかも、せっかくガバナンスが効くようにと欧米寄りの会社組織の仕組みを新しく作ったにも関わらず、採用する会社が少ない。結局名目だけになってしまい、法務省の法制審議会が危機感を持ち、中間的な立ち位置として監査等委員会設置会社ができてしまったわけです。
すると、多くの企業がその真ん中の会社形態に集まる傾向で、これでは内部統制コンプライアンスを偏重する取締役会になってしまい、企業の目的を忘れた議論になっています。その上、監査等委員会設置会社では取締役にも「上級取締役」と「下級取締役」ができ、取締役会が動けないほどに任期2年の取締役監査等委員が権限を持ってしまうという、すばらしいブレーキを作ったわけです。これは深刻な問題だと思っています。また、監査役設置会社については、監査役がいくら頑張っても議決権がないために社長をクビにできないという状況は、基本的にガバナンスが効いていないということになります。
確かにご指摘のとおりだと感じます。最近は会社の取締役会もずいぶん柔軟になってきていて、昔、私が監査役になった頃には「監査役は、あまり意見を言わないでほしい」といった企業内の風潮も根強かったですが、今は完全になくなりましたね。ただし、議決権がないので、自分で良い意見を言ったと思っても、別の社外取締役による執行部の提案を忖度するような反論を止められない。そんなやきもきした経験もあります。改めて、宮内さんにとって会社の機関設計の望ましい形、理想型とはどのようなものでしょうか。
まず、指名委員会等設置会社における「スーパー委員会」化の現状を変えることです。欧米の会社のように、ガバナンスの根幹である取締役会に全ての権限を与え、それから各々の委員会が専門的に調査したり、候補者を決めたりするという形にするのです。日本がなぜそうできないのか、非常に残念です。
「スーパー委員会」をやめて、指名委員会等設置会社を欧米と同じように機関設計を見直し、独立社外取締役を半数以上にすることがガバナンスの形態として望ましい、ということですね。それには、独立社外取締役になる人たちの資質の問題もあると思うのですが、そこでコンプロマイズ(妥協)するような人ではいけないということですね。
宮内さんは、先程もおっしゃったように、経営者にとってガバナンスとは「攻め」のためにあり成長のためのもので、「攻め」と「守り」、この2つを同時に成立させることではない、と考えていらっしゃいます。こうした考え方は、経営者としてオリックス・グループを引っ張ってきた宮内さんの、まさに生の声をお聞きした、そんな感じがします。
ありがとうございます。ただ、私のやってきたことはこの程度のことだ、ということを申し上げただけです。会社を中長期的に継続的に伸ばすためには、内部で不祥事等が起こらないようにしないといけません。当然、しっかり攻めるためには内部を固めること、つまり、内部統制やコンプライアンス等々が極めて重要になります。フルスピードで走るためには、いざという時にブレーキを踏めるようにするのです。「攻め」と「守り」は、両立と言うよりも、先ほども説明したように、まさにアクセルとブレーキの関係です。両方を同時に踏み込むものではない。さらに、執行部はアクセルとブレーキだけでなく、ハンドルも握って方向性も間違わないようにしないといけません。正しい方向に向かってフルスピードで走ること、それが企業経営者の大部分の責任となります。私が経営者として先頭に立っていた頃は、企業経営の概念は完全な性善説で成り立っていましたから、アメリカ的な性悪説に基づいて会社をガチッと固めなくてはならない、というところまでは、私自身は意識しなかったですね。
なるほど、アメリカ的な性悪説ですか。そう考えると、先ほど宮内さんがお話してくれた、米国のCEOが社外取締役から取締役会の場で計画や目標についてやり玉に挙げられて、未達成の場合にはすぐに、それも2年ぐらいでクビになってしまう状況も、理解しやすいですね。
クビになる恐怖だけではありません。逆に思った以上の結果を残し目標を達成したら、ものすごいご褒美がもらえるという、あからさまに言うと、アメとムチなのです。ですから、CEOとは実に怖い仕事だと思います。それに対し、日本は「アメもなければムチもない」というのが現状ではないでしょうか。
アメはアクセル、ムチはブレーキと関係していますね。ところで、日本は社長になって5、6年経つと自動的に交代する慣習というか、制度があります。バトンタッチする人に人望や能力があるのかは社長が独断で決めて、それを周りが忖度してサポートするという構図になっています。社外にふさわしい人材のプールがあるというわけでもなく、そこまで厳しくありませんよね。
藤沼理事長のおっしゃるとおりです。日本には「経営者マーケット」がないのです。ほとんどが内部から昇格せざるを得ないということになりますと、現執行部の意見が非常に強く反映されてしまいます。それゆえ、日本型の官僚組織による企業経営はメンバーシップ型雇用で(年齢・勤続年数に応じて)どんどん昇進していくという連鎖の結果、日本企業社会の停滞が起きていると私は思います。ですから、トップを含めて、一人ひとりが自分の専門性を売ることができる、横に動ける社会、隣の会社から引っ張りに来てくれる社会、経営者についても、経営者マーケットがある企業社会に変わらないと、日本企業は欧米に対抗して伸びていくことが難しくなったと思っています。
「攻め」と「守り」のガバナンスの議論に話を戻しますが、私自身は、例えば「攻め」が7〜8割、「守り」が2〜3割といった表現のほうが、今の日本の多くの経営者には分かりやすいのではないかと感じています。内部統制はアメリカのエンロン、ワールドコム事件を受けて、財務不正に焦点を当てています。COSO(トレッドウェイ委員会支援組織委員会)も世界基準となった内部統制基準を見直して2004年に統合的フレームワークを公表しておりますが、2002年にアメリカでサーベンス・オクスレ‐(SOX)法ができた時には、財務報告の不正に焦点を当てて、細かなドキュメンテーションが大事だと指導をしたところがあるようです。
我々も、統合的フレームワークに関しては重要視しており、八田進二先生が創設した「日本内部統制研究学会」も先だって「日本ガバナンス研究学会」と名称を変更し、その中にERMや内部統制も包含している形となっています。というわけで、私は「攻め」と「守り」のガバナンスについては、攻めが中心でありながらも、守りもある、と言いたいのです。アクセルを思い切り踏み込むには、しっかりしたブレーキが欠かせないと。その上で、リスクマネジメントについてお聞きしたいのですが、結局、ビジネス上のリスクが多いので、「グッドリスク」を取り、失敗した場合の損害の計算や確率を考えて総合判断をするのが取締役会の場である、と宮内さんはお考えですが、そのような場で十分な役割を果たせる優秀な独立社外取締役を探し出すのは大変なことではないですか。
その点に関して、私は、独立取締役の目的は何であるのかを十分に理解していただければ、その任を務められる人材は日本の企業社会の中にも大勢いるに違いないと安心しています。ただし、そうした人材を生み出す土壌、独立取締役になる方が学習できる場や機会を作らなければいけないのも実情です。私が以前会長を務めていた一般社団法人 日本取締役協会では、新任取締役を対象とした研修を開催していましたが、一生懸命に研修に来られる方もいたものの、日本の企業社会全体から考えると少数でした。今後は、何か資格を作るとか、必ず研修を受けるようにお願いをするなど、制度的な仕組みを考える必要があるのかもしれません。
組織目標を効率的に達成するかが経営力というもので、その要となるものがガバナンスである、つまり営利企業だけでなく、非営利組織であってもガバナンスが必要になってくるということですね。著書の中で宮内さんは、プロ野球球団を例に挙げておられますが、監督は試合結果に責任を持つ、つまり、会社における執行役のトップである会長・社長に当たる、コーチは監督の意を受けて選手を動かす、つまり、会社の執行役員となる、と記されました。そして、フロントは、2~3年後をにらんで選手を補強したり、監督やコーチを選んだりと、つまりオーナーの意向を反映する、企業の取締役に該当するわけです。最後にオーナーは、これはオリックス球団の場合には宮内さんに当たりますが、企業における株主の代表であり、オーナーが、監督をダメだと思ったら、あるいは成績が悪かったら変えることができる、という構造です。その中で、宮内さんは、名監督は勝率を極端に上げているわけではない旨を書かれていました。ガバナンス論とはちょっと話が離れてしまうかもしれませんが、どのような意図をお持ちだったのでしょうか。
私はプロ野球球団のオーナーとしては、あまり及第点を貰えていないので……30何年やってめったに勝たないという球団のオーナーでしたので。それは横に置くとして、チームの監督とは会社の社長です。私は、社長には会社の経営を誤って潰してしまう力がある、といつも思っていました。悪い方へ進んでしまう時は、社長一人が間違った方向へ行けと言えば会社を奈落の底へ落としかねない、それが社長の役割の怖さです。しかしながら、会社を良い方向に進める時には社長の力だけでよいかと言うと、それは無理で、「全員」の力が必要です。ですから、攻める時は方向性を正しく、そして全エネルギーをその方向へ糾合していく。それができる人が社長、つまり、上の役割になるのだと思います。野球の場合、チームとして戦い、勝利しているわけです。シーズンを通して監督同士の力量、采配で勝敗を決する試合について、私は「名監督で5勝、力不足な監督で5敗」だと考えています。監督の采配だけで1勝することはとても難しいと、ずっと思っています。ただし、名監督と力不足な監督の差はたかだか「10勝」ですが、10勝違ったら1位と最下位の差になるようなシーズンもありますから、やはり社長や監督は怖いものです。
より広い意味で、ガバナンスを考えたとき、例えばオリンピック委員会、医療機関、大学などの非営利組織の運営もガバナンスが鍵になってくるとのことですが、宮内さんは、非営利組織のガバナンスを、どのようにお考えでしょうか。
非常に問題の多い組織があると思いますね。例えば、少し古い話になりますが、私が政府の規制改革会議の議長を務めていた際に、医療機関、つまり、病院のガバナンスをしっかりさせようと動いたことがあります。というのも、従来から、日本の病院の理事長のほとんどは医師が務めているからです。理事長とは経営者です。医師が経営に長けているとは限りませんから、理事長の要件から何とか形の上では医師を外すことができたわけですが、今でも実態はほとんど変わっていません。つまり、病院経営を経営者が担っていないのです。経営者が務めれば黒字になるとは必ずしも言えませんが、日本の病院が赤字になるのは当然です。
それから、大学など教育機関の理事長は教職員が選挙を行い決定している場合も多いですが、これでは教職員のための大学機関になってしまいます。これに対して、文部科学省の動きは鈍く、世の中の動きと乖離してしまっています。日本の大学は世界的に見てもどんどん競争力が弱まっています。日本のその他の組織についても、ガバナンスがしっかり機能していれば、もっと効率的に運用されているケースが多いのではないでしょうか。ガバナンスが機能していない組織に共通するのは、ゲマインシャフト(地縁や血縁に基づく基礎的集団)、家庭のような内部構造を構築しているところです。みんなで仲良くやろうと。中にいる人は快適でしょうが、組織の目標を達成するという方向には動きません。
日本のコーポレートガバナンスの未来ということで、宮内さんが企業人のみなさんに贈りたいメッセージとして、「横に動ける人間になること。縦にしか動けない人間は、定年退職した人でもあまり専門性が残っていない」、と記されていました。改めてお話いただけますか。
日本の企業社会は非常に大きく、そこで働く人には大きな看板があるわけです。大きな会社の看板を背負って生きているために、自分の力とは全く関係のない大きな仕事ができるわけです。そして、その仕事は看板を背負っていなければできません。看板を外した途端に何もないとは言いませんが、専門性が非常に少ないために、縦にしか動くことができません。私は日本のメンバーシップ型雇用というのは、セミプロを多くつくっている世界だと思います。これに対して、ジョブ型雇用はプロの世界なのです。今や何が起こっているかというと、セミプロとプロの戦いになっているわけです。日本はセミプロだから負けてしまう。だから、早くプロの世界を作らないといけません。
日本の場合、新しい人が急に来て横から仕事を取っていく、というようなイメージがジョブ型雇用にはあって、果たしてそれがいいのかと考えてしまう風潮があるのかもしれませんね。
だからこそ、日本企業はゲマインシャフトでなく、競争社会になるべきなのです。企業は内部であっても競争社会なのですから、そういう自覚がないといけません。それから、もう一つの問題は、日本の企業社会における学歴についてです。大半がアンダーグラデュエイト、つまり、4年制大学の出身ですね。欧米の企業社会では学士号だけでは不十分だから、専門化のためにはさらに勉強しているわけです。ここに学力差が随分出ているような気がします。日本のビジネスパーソンはもっと勉強しないと駄目だと思いますね。
これは、大学側の任務でもあると思います。リカレント教育が大事だ、と言っているのにも関わらず、大学院に生徒が来ない、儲からない、といった問題ばかりで、なかなか前に進みません。それで、大学院に進学しないとしても、たとえばテクノロジーの教室などを開いて、まず地域などの枠組みからのリカレント教育に着手したらどうかという意見もありますが、なかなか実行できないという実情もあります。
そこを踏み越えて次の段階に行かないと、日本の企業社会は引き続き、競争力を失ってしまいかねません。穏やかで居心地のいい会社生活などは過ぎ去った時代のものだ、私はそう思います。
宮内さんは分配を重視した社会性のあるガバナンスを目指すことや、ガバナンスの目標が単純な利益ではないものへ変化していく、ということをおっしゃっていますね。その趣旨はどのようなところにあるのでしょうか。
今、「新しい資本主義」という議論がありますが、やはり私は、資本主義の、生産面におけるガバナンスをしっかり固めて、公正な市場を作り、互いに優劣を競い合うということが富を作り出すための最も優れたエンジンだと思っています。だから、やはりモノを作るという意味では、このシステムをさらに強くしていくということが必要です。しかし、その作り上げた富を放っておくと、大きな格差ができる社会になってしまうので、富をどのように分配するのかが、今、問題であると思っています。富を作るなということでなく、作った富をどう分配するかということ。そこには、やはり国家の積極的な介入というのは不可欠です。敗戦直後の日本では、財産税としてお金持ちから90%くらいを徴収していました。そのようにして、富の平衡を図ったわけです。富の分配のためにも、国がもっと力を発揮すべきだと思います。
なるほど。ガバナンスは高度化して、社会性を持つことが求められる、ということですね。本日は非常に貴重なディスカッションをありがとうございました。