日時:2016年6月13日(月)~15日(水)
場所:ネバダ州ラスベガス
1990年代当時、デビッド・バルボザ(David Barboza)はボストン大学の2年生だったがロバート・カロ(Robert Caro)、 J・アンソニー・ルーカス(J. Anthony Lucas) 、ニール・シーハン(Neil Sheehan)のようなジャーナリストを見習いたいと思っていた。彼もジャーナリストで歴史家になりたかったのだ。「私は、とんでもない考えを持っていて、自分の学生新聞のためにインタビューをしようと歴史上の有名人に電話をかけたのです」とバルボザは火曜日のワーキング・ランチ・セッションで語った。
そこで彼は大胆にも、ケネディおよびジョンソン政権で国務長官を務めたディーン・ラスク(Dean Rusk)に電話をした。驚いたことに、彼はバルボザの電話に応じて、ベトナム戦争について意見を聞かせてくれた。バルボザは、他の歴史上の有名人とも首尾よくインタビューを行った。
2012年、バルボザはニューヨーク・タイムズ紙の上海支局チーフであり、中国の政府高官の腐敗を示す最初のシリーズ記事を公表しようとしていた。「ニューヨーク・タイムズ紙は中国政府に反論の機会を与えることが重要と考えていました。ディーン・ラスクに電話したときと同じくらい非常に驚いたのですが、〔中国の〕首相の親族が私の電話に出てくれたのです」
大胆さは報われた。ACFEはバルボザに、粘り強さ、固い決意と献身により真実を追求することで不正との闘いに顕著な貢献をしたジャーナリストに贈るガーディアン賞を贈ることにした。
バルボザは、ニューヨーク・タイムズ紙の任務で中国に赴任した時から、中国政府の高官とその息子や娘(いわゆる幼君)が、企業の「秘密の株式」による数十億ドル相当を受け取ることで、同国の経済の変化から金銭的恩恵を受けていることを聞いていた。
バルボザは、中国政府の高官の親族がこのような財務取引により密かに恩恵を受けていることを発見できるとは思っていなかった。「私は中国には記録が残っていないと言われていました。もし記録があったとしてもそれを手に入れて読むことはできない。もし記録を手に入れて、それを読み、出版したら大変な問題になる。生命の危険の可能性があると言われていました」
しかし、バルボザは、少なくともパズルの小さな部分を解決できるかどうか見極めようと決心した。そこで2011年の初めに、彼と彼のチームは、中国経済に深く関与していると考えられていた温家宝元首相の一族に焦点を当てた。元首相の夫人は、「ダイヤモンドの女王"diamond queen"として知られていた。彼女は中国のダイヤモンド産業を支配しており、その息子は、おそらく大手の未公開株式投資会社を経営していた」とバルボザは語った。さらに、元首相の一族が、世界有数の規模の保険、銀行、金融サービスの持ち株会社の1つであるPing Anに何らかの関係をもっていることも良く知られていた。(Ping Anは「安全と幸福」を意味する)
中国の企業は、香港、上海、深圳(シンセン)で上場することができるとバルボザは言った。彼は、香港の上場企業の中からPing Anの趣意書を捜し始めた(それらは英語で作成されていた)。そして、一度も聞いたことのない、いくつかの中国企業が数十億の株式を所有していることに気づいた。そして、彼は見つけたばかりの機関である the State Administration Ministry of Commerceに向かった。「中国での滞在は8年でしたが、一度もその機関について聞いたことはありませんでした。ですが、彼らは民間企業の記録を保有していたのです」と彼は言う。100ドル足らず払っただけで、当局はバルボザに何箱もの記録を送ってきた。
1つの手がかりから、墓標に名前のある親族など多くの手がかりが見つかった。バルボザは温家宝の息子、娘、弟、義理の兄弟が彼の政権下で異常に裕福になったことを書くことができた。連載記事の第一回目[※1] によると、その記録は首相の親族(夫人を含め)が少なくとも27億ドルの資産を支配していたことを示した。
その記事によると、多くの事例で親族の名前は、友人、同僚、ビジネスパートナーが関与するパートナーシップや投資ビークルの階層の中に隠されていた。バルボザは、Ping Anに加えて、その会社には、北京の別荘地開発のプロジェクト、中国北部のタイヤ工場、北京オリンピックの「鳥の巣」などのスタジアムの建設を支援した会社が含まれると書いた。
2013年にバルボザは、国際報道部門におけるピュリツァー賞(the Pulitzer Prize for International Reporting)を授与された。ディーン・ラスクに電話をした大胆さがすべての始まりだった。